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58件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

2018-05-29 第196回国会 参議院 文教科学委員会 第12号

これまでこの研究で、湯川秀樹氏、朝永振一郎氏、小柴昌俊氏を始めとしたそうそうたる先生方ノーベル物理学賞を受賞されてきましたが、その素粒子物理学研究にはこの加速器が重要な役割を果たしてきたということが言えます。日本世界が認める素粒子物理学加速器技術の大国と言えるでしょう。

木戸口英司

2009-03-12 第171回国会 参議院 文教科学委員会 第1号

ノーベル物理学賞を受賞された朝永振一郎先生は、不思議だと思うこと、これが科学の芽です、よく観察して確かめ、そして考えること、これが科学の茎です、そうして最後なぞが解ける、これが科学の花ですとおっしゃいました。子供たち創造性をはぐくむとともに、基礎科学で咲かせた花は、社会への還元させる大きな果実として実らせないといけません。  科学技術世界は、海外との競争です。

塩谷立

2009-03-11 第171回国会 衆議院 文部科学委員会 第1号

ノーベル物理学賞を受賞された朝永振一郎先生は、「ふしぎだと思うこと、これが科学の芽です。よく観察してたしかめ、そして考えること、これが科学の茎です。そうして最後なぞがとける、これが科学の花です。」とおっしゃいました。子供たち創造性をはぐくむとともに、基礎科学で咲かせた花は、社会へと還元させる大きな果実として実らせないといけません。  科学技術世界海外との競争です。

塩谷立

2004-04-15 第159回国会 衆議院 憲法調査会 第6号

そのときに、使われる前に、多くの物理学者科学者技術者は、反対の声明を出したり、大統領に要請したりするんですが、結局押し切られてしまったというところから、戦後、科学者の皆さんの間で、科学技術者社会的責任という考え方、非常に深刻な反省の中からそういう声が広がり、それが哲学者のバートランド・ラッセルだとかアインシュタイン博士や、日本でいえば湯川秀樹朝永振一郎、坂田昌一など著名な物理学者たちを中心にして

吉井英勝

2003-06-26 第156回国会 参議院 文教科学委員会 第20号

度々私は、古くは湯川秀樹先生中間子理論朝永振一郎先生くりこみ理論福井謙一先生フロンティア電子理論、最近では野依さんの触媒による不斉合成小柴昌俊さんのニュートリノ天文学のどれもがボトムアップ精神によって成功した大研究であり、ボトムアップ精神によって伸びた大研究であり、トップダウンで行われたものではないということを繰り返し強調してまいりました。

有馬朗人

2003-04-03 第156回国会 衆議院 本会議 第20号

さらに、日本の今までのノーベル賞受賞者を全部見てみますと、湯川秀樹さん京都帝国大学朝永振一郎さん京都帝国大学川端康成さん東京帝国大学江崎玲於奈さん東京大学佐藤栄作さん東京帝国大学福井謙一さん京都帝国大学利根川進さん京都大学大江健三郎さん東京大学白川英樹さん東京工業大学野依良治さん京都大学、昨年の小柴昌俊さんが東京大学で、そして田中耕一さんが東北大学、全員が国立大学出身者です。

山口壯

2002-12-05 第155回国会 参議院 文教科学委員会 第8号

理化学研究所についてお伺いしたいんですが、これは私は賛成の立場なものですけれども、これは、過去にもうすばらしい先生方が、長岡半太郎先生本多光太郎先生鈴木梅太郎先生湯川秀樹先生朝永振一郎先生、こういう先生方がもちろんノーベル物理学賞を受賞されたり、もうすごくこの国の、私たち今こうして世界の中でトップクラスの教育を受けていると言われるぐらいの国にもなったわけですが、これ設立されたのは、長岡半太郎先生

岩本司

2002-11-13 第155回国会 衆議院 経済産業委員会 第6号

そして、何か御本人も、大学では決して物すごく勉強ができたというわけではなかったと、東京大学物理の中でとおっしゃっていましたけれども、その彼が留学をしたいと言われたときに、その当時の留学を審査する先生だったんでしょう、朝永振一郎これもノーベル賞をもらわれた博士が、米国ロチェスター大学留学推薦状は、成績はよくないけれども、それほどばかじゃないと自分で書いて、にやにや笑う博士の署名をもらったということで

川端達夫

2001-05-18 第151回国会 衆議院 内閣委員会 第11号

湯川秀樹先生朝永振一郎先生江崎玲於奈先生福井謙一先生利根川進先生白川英樹先生でございますが、実は、この戦後五十五年間にほかの国がどうかということを見ますと、アメリカが百八十人、イギリスが四十四人、ドイツが二十七人、フランスが十人という方々が自然科学系ノーベル賞をとっているわけでございます。  

尾身幸次

1997-05-20 第140回国会 衆議院 文教委員会 第13号

私自身は素粒子グループに属しておりまして、このグループは、湯川秀樹先生朝永振一郎先生坂田昌一先生という世界先駆者の伝統を我々は受け継いでいるわけであります。一九五三年に京都大学湯川先生を所長とした基礎物理学研究所が創立されました。この研究所ではごく当初より教授、助教授、助手の全所員に任期制が導入されております。

有馬朗人

1995-10-31 第134回国会 衆議院 科学技術委員会 第2号

これらについては、詳しくは湯川秀樹博士朝永振一郎博士らの著書などに譲ることとしたいと思いますが、日本の戦後の科学研究の歴史も、実はその道を明確にしてきました。  一九四九年の第一回日本学術会議総会声明では、我が国科学者がとってきた態度について強く反省し、平和的復興に貢献せんことを誓う。  

吉井英勝

1994-06-07 第129回国会 衆議院 予算委員会第三分科会 第1号

かつて湯川秀樹さんなり、あるいはまた朝永振一郎さんを生み出したその部屋も見せていただきました。正直言ってこんなことでは本当に大変なことだなということをつくづく感じた次第です。  現在使用している学生用実験設備を見ました。一九五五年に製造したエックス線照射装置、今から三十九年前につくられたもので、絶縁が悪くてショートするため出力を下げて使用される。もう製造中止になっているため交換部品も手に入らない。

寺前巖

1993-02-24 第126回国会 衆議院 文教委員会 第3号

ノーベル賞学者朝永振一郎さん、この方はかつて理科の教科書をつくられたことがある。非常に内容が少なくて検定を通らなかった。その朝永さんいわく、たくさん教えちゃだめだ、本当に力をつけるには少ししか教えなきゃいかぬ、少しにしなさい、全部やる必要はないんだと。ドイツ人は保守的と言われますが、すき間をつくること、すき間への勇気ということを言う。むしろそれが思考力を発揮できみことなんだ。

沢藤礼次郎

1990-05-30 第118回国会 衆議院 文教委員会 第11号

日本でも湯川秀樹博士あるいは朝永振一郎博士等非常にすぐれた学者であり研究者であり、そしてまた教育者としても本当にすばらしい方がおいでになったわけでありますし、この両先生の門下生と言われる人たちがその後の日本物理学を背負って立つすばらしい学者あるいは教育者として育っていったということはどなたもお認めになると思うのです。  

吉田正雄

1988-04-26 第112回国会 衆議院 科学技術委員会 第7号

その次の国際協力についての五原則は、ノーベル賞を受けられました朝永振一郎先生が会長のときにつくられたものでございますが、この五原則をつくりますために、三日間の総会のすべての日程を費やしたと記録に残っております。それで、ほかの項目の審議のために臨時に一カ月後に総会を開いておりますが、そういうふうな非常な議論の後にできました五原則がそこにあります五つでございまして、「平和への貢献を目的とすべきこと。」

近藤次郎

1986-05-09 第104回国会 参議院 科学技術特別委員会 第7号

実は、この原子力平和利用原則声明のもとになりましたのは、これは伏見先生も所属しておられました日本学術会議原子力特別委員会、あるいは私も委員をしておりました原子核特別委員会、この委員会朝永振一郎先生委員長をしておられたわけですが、その委員会等におきまして種々検討の結果この原子力平和利用原則というものが生まれてきたわけであります。  

服部学

1986-05-09 第104回国会 参議院 科学技術特別委員会 第7号

その点につきましては、先ほど申し上げました学術会議原子核特別委員会での朝永振一郎先生の御努力というものに対しては、今思い出しても本当に頭の下がる思いがするわけであります。  私たちが議論しましたのは、どうやって日本原子力研究軍事研究にかかわりを持たないようにすることができるか。

服部学

1981-03-27 第94回国会 衆議院 文教委員会 第7号

この問題で、亡くなられました朝永振一郎博士が言っていらっしゃいますが、若い人たちは、ほとんど九〇%までが、何らかのアルバイトなしに研究生活が続けられないありさまである、研究意欲は盛んでも、経済的な裏づけがなくては十分な成績が上がらない、仮に、成績はそう気にしないとしても、最も恐るべきは、やがて意欲それ自体が失われることである、やがて跡を継ぐ若者がなくなるということである。

栗田翠